【ターンAガンダム】第03話 感想:赤面とおヒゲと突然の死
漫符「赤面」
「照れ」のマンガ的表現である。
ソシエ「あたし、なんてはしたないことをッ」
Gレコで記憶に新しいのは21話のギゼラの赤面/紅潮だろう。当時誰かが言及していたが、私もこの表現は直接的すぎてあまり好きではない。ただ、ここでは一先ず好き嫌いは置いておいて、∀において富野監督がこの漫符をどれくらい/どのように使っているかを見ていきたい。
まず回数だが、24話まででも何と03,07,12,23話と合計4回も使っているのである。1stやZのような真面目路線のものではなかったと言えるこの漫符は、ZZやVでは多少見られるようになり(それでも全体を通して1,2回かそこらのはず。間違ってたらスマヌ。)、こと∀に至っては全話の半分でその倍の回数、この「赤面」を使っているのである。
確かに、記号性の強調から来る分かりやすさやカジュアルさ、もしくは漫符による単純な可愛らしさの追及のために、あえてリアリティ描写からは離れる「漫符」を入れたとも考えられるが、私はそれ以上の意味を持つものだとも思っている。
というのも、∀においての4回の赤面表現は"ソシエ,キース,ロラン,ソシエ"と登場人物の中では比較的若いメンバーによるものだ。そしてどれもが、ある種の”初体験”からくる恥ずかしさによる照れなのである。つまり、この漫符は若さ、純粋さ、素直さの表現としても使われているのだ。そう考えると21話のギゼラの赤面はどういった意味を持つだろうか。
そう、単純な照れの表現に留まらず、ギゼラの見かけ上の逞しさの裏腹にある乙女性と言えるものすらも表現していると言えるのだ。であればこの「漫符」というものは、重層的な表現性を持っていることとなり、単に表面的な感情表現だけはなく、その内面すらも描写することに成功しているといえるのである。
そう、単純な照れの表現に留まらず、ギゼラの見かけ上の逞しさの裏腹にある乙女性と言えるものすらも表現していると言えるのだ。であればこの「漫符」というものは、重層的な表現性を持っていることとなり、単に表面的な感情表現だけはなく、その内面すらも描写することに成功しているといえるのである。
MUSTACHE
ヒゲは一箇所ではない。
キエル「おヒゲのあるホワイトドール?」
12:40で、キエルは「ヒゲのある機械人形」と聞いて、鼻の下をなぞる仕草をする。何故、鼻の下;ヒゲならば口ひげと呼ばれる部分を直感的に触ったのか。それは彼女にとって身近な人物である父親が、口ひげを生やしているからだろう。普段の生活で、口ひげを生やしている人物がとよく接していれば、単純接触効果で印象に残っていくものだし、何より、その口ひげの人物は彼女の父親なのである。ふと「ヒゲ」と聞いて口ひげを連想するのは自然なことだと言える。
無常の風
動転している人間を正気に戻すには現実の痛みも必要となる。夢かどうかを確かめるときに、頬をつねるのと一緒だ。/ ソシエが混乱したまま道に飛び出しちゃったりしたら危ないですからね。
ロラン「落ち着きなさいッ!!」
祭りの後、ソシエとロランは家に帰ると同時に当主の死を知る。あまりにも呆気無い死なのだが、これが富野監督の描くリアリティだと言えよう。誰に看取られるわけでもなく、死に際や亡骸さえも美化されることなく、月の軍隊が放ったたった一発のミサイル(02話21:52参照)によってハイムの親父さんは何の前触れもなく命を奪われたのだ。戦場において、生と死は紙一重でしかない。
そして、娘のソシエは父親の死にひどくショックを受けて取り乱し、従者のロランに「みんなあなたのせいよ!」と八つ当たりをする。Gレコ第03話のカーヒルを失ったアイーダもそうだが、こういった遺族の悲しみというのを克明に描くことで、富野監督は戦場における理不尽な死というものを強烈に見せつけてくるのである。
そして、娘のソシエは父親の死にひどくショックを受けて取り乱し、従者のロランに「みんなあなたのせいよ!」と八つ当たりをする。Gレコ第03話のカーヒルを失ったアイーダもそうだが、こういった遺族の悲しみというのを克明に描くことで、富野監督は戦場における理不尽な死というものを強烈に見せつけてくるのである。